Marumaru's TinyPlaza

(2013.11.01)(book)プラナスガール(6)完

『プラナスガール』6巻(完結)/松本トモキ


※最終巻の内容に触れていますのでご注意下さい。

暫く前に発売していたみたいなんですが、完全に忘れていたので今更買ってきました。

と言うのも、このプラナスガールは「男の娘モノ、だけど実際の性別は分からない!」的な最初のインパクトに魅かれて買ったものの、途中から中だるみを感じてしまっていたので、5巻まで買ったところで忘れていました。

3巻時点での感想

ですが、ネットで6巻の発売を知り、しかも最終巻と言うじゃないですか。これは二人の結末を見届けたいっ!と勢い込んで買ってきました。という訳で感想。

私はプラナスガールを読むまで、所謂「男の娘」が別段好きじゃなかったんですよ。可愛いものをわざわざ男にしなくても、普通に女の子で良いじゃん!と。男にする意味が分からない。そう思っていました。

だけど、プラナスガールは自称男の子である「藍川絆」の性別を敢えてボカしたまま話を進め、「藍川絆」自体の魅力を描くことに注力しているんです。だから、読んでいるうちに「藍川絆」と言う可愛い存在の虜になってしまうんです。

女の子だから好き、男の娘だから好きじゃない。ではなくて、「藍川絆」が好きな状態です。私は「好きなタイプは好きになった人」と言う持論を持っているんですが、まさにその状態です。

そんな心境の折に最終話のこの見開きです。

この破壊力。完全にやられました。

この台詞は藍川絆が主人公に対して言った台詞なんですが、私には満面の笑みを湛える絆が読者に対して問いかけているように感じました。全てを分かった上で聞く質問ってずるいよね、小悪魔的で。

まあ、次のページで主人公がまさに上で書いたような事を代弁してくれているんですが。

実際問題で考えると男同士で付き合うのは体の作り的に色々難しそうだし、あり得ない……正直、深く想像したくもないところなんですが、精神面に限って言うのならば、好きになった対象がたまたま男で、どうしても好きなのなら仕方ないのかな、と考えてしまいました。だって好きなんだから。あくまで精神面の話ね。

こういうのって考え方だと思います。

「男が恋愛対象なんてあり得ない」と言う前提から始めて帰納法的に無理な理由を探すのか、それとも「好きになったのがたまたま男」って前提から始めて演繹法的に好きを貫く道を探すのか。

「~だから好き」「~だから嫌い」って理屈で考えるんじゃなくて、好きになったものは好きなんだって自分に素直になる事も大切なんだな、と改めて思った作品でした。

最後に、失礼を承知で書きますが、この作者の絵と言うかキャラクターって他はそうでもないのに絆だけは別格で可愛いと思うんです……。




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