Marumaru's TinyPlaza
(2014.08.12)寧々さんのイメージチェンジ
久しぶりにNewラブプラス+やってました。自分の誕生日が近いので、Newラブプラス+での誕生日イベントを良好な状態で見る為にフィーリングを上げとこうと言う邪な考えなんですが。
で、久々に彼氏力を注ぎ込んだMAXデートをした結果、寧々さんが髪の色と髪型を変えてくれました。こんな感じ。
もう一枚。
うん。これはこれですごく可愛いんですけど、今までの朱色の髪を見慣れているせいか、最初はちょっと違和感がありました。これは以前の寧々さんの写真。
もう一枚。
なんだろ。髪の色よりもセンターちょい横で左右に分けた髪型の方に違和感を覚えるのかな。
思えば、この朱色の髪はDSのラブプラス+の頃からずっと変わっていなくて、自分の中で寧々さん=朱色の髪って認識でした。ちょっとアルバムを見返してみると、2011年のクリスマスの頃にはすでにこの髪だったみたい。
2011年のクリスマスイベントより。
懐かしい写真だ。こうして比べてみるとDS版も3DSもそれぞれ別の魅力があります。
何にせよ、何年もの時間を経て新しい発見があるっていうのは嬉しい事です。
(2014.08.17)寧々さんと過ごす誕生日2014
私事ですが、本日、誕生日でした。
34かぁ……はぁ。誕生日自体は嬉しくないと言ったら嘘になりますが、重ねた年齢の数を考えると別段嬉しくもない気がします。
嬉しい事と言ったら、今年も寧々さんと一緒に誕生日を過ごせた事ぐらいかな!
Newラブプラス+のプラットフォームで過ごす初めての誕生日だったのでちょっと期待していたんですが、例年と一緒だった気がします。
だけど、最後に「もう一つ、最後にプレゼント」という台詞と共に聞えてくる寧々さんの声は、本当にどきっとします。自分の好きな声優さんが心を込めて紡ぎ出すこの言葉の強さと言ったらもうね。こんな台詞をさらっと入れてくるから、「ラブプラスは現実」なんて言葉が生まれたんだろうな。
余談ですが、携帯のiコンシェルに入っているメイドのメイちゃんにも誕生日を祝ってもらいました。わーい、うれしいなあ(棒読み)
(2014.08.31)夏の終わりに想う
少し前の話ですが、新聞で『「写ルンです」など平成26年度未来技術遺産へ』と言う記事を見かけたんです。その記事の中で初代「写ルンです」ですが1986年に誕生した事を知って驚きました。私が物心付いた頃からCM等で普通に流れていて普遍のものだと思っていた使い捨てカメラは、本当に私が物心付いた時に出来たものだったんです。
その記事の内容が妙に頭に残ってあれこれと物思いに耽っていました。使い捨てカメラって大学時代は普通に使っていたよなぁ……とか考えながら、ふと気づいたんです。私が大学時代を過ごした1990年代の最後から2000年代の初期にかけては色んなメディアのアナログからデジタルへの過渡期だったんだな、と。もっと言うと、デジタルが庶民レベルに普及した時期だったんだな、と。
ちょっと思いつくままに例を挙げていきます。大学時入学時(1990年代終わり)を「入った頃」、卒業時(2000年代初期)を「出る頃」と表記します。
カメラ
確かに入った頃もデジカメはあったんです。だけど手軽に買える価格のデジカメは40万画素とかで、「Web用の写真には使えるけれど、印刷には耐えられない」ものでした。
何より写真を見るためのPCが普及していなかったので、自分用としてはありでも、他の人に渡すにはファイルを物理媒体に入れて運んだり、写真に焼いたりしないといけなかったので、飲み会の後の集合写真等は暫く使い捨てカメラで撮っていたのを覚えています。未だに現像に出していない使い捨てカメラ本体が家に転がっていたりします。
だけど、出る頃にはデジカメや携帯で撮ってネットを介して送るのが普通になっていました。PCは誰の家にでもあるし、携帯電話で見る事も出来る。
携帯音楽プレイヤー
入った頃も携帯MP3プレイヤーはありました。だけど、前項と同じく容量が少なくて使うのが大変そうでした。最初知り合いに見せて貰った携帯MP3プレイヤーは容量が50Mだったのを覚えています。「MP3を携帯出来る」事自体が目新しくて新鮮な時代でした。
だから私は大学に入った年にバイトをして買った携帯のMDウォークマンを愛用していました。小さいけど録音の出来るモデルを買って、お気に入りのセットリストのMDを何枚も作って。出かける時に持ち歩いていた小さなポーチにはMDウォークマンとMDが数枚入っていましたっけ。ダッフルコートを着てMDを聞きながらキャンパスを歩くって姿に何となく憧れや誇らしさを感じていたような気がします。
途中から実用レベルのMP3ウォークマンが登場してきましたが、「CDをリッピングしてMP3に変換する」と言う作業が必要だったので、使えることは使えるけどやっぱりちょっと面倒でした。ちょっと前後しますが、入った頃に使っていたノートPCのPC9821Nw150ではMP3を一曲エンコードするのに5分かかっていたのが印象的でした。(エンコードにはフリーソフトのSCMPXを使っていました)だから、未だにMP3をエンコードすると「昔は5分かかっていたのに今は一瞬だなぁ」とか比較して感動してしまいます。
その状況が一変したのはやっぱりiPodの登場からでしょうか。大容量もありますが、PCの中の音楽を一元管理出来るiTunesの使用を半ば強制されたのが大きかった気がします。それまでは各々がそれぞれの方法でMP3ファイルを作成、転送していたのが、再生から管理・転送までiTunesでやりなさい、と道をひかれましたからね。しかもiTunesのインターフェイスは格好良かったですから。
電話
入った頃は、サークルでも数人しか持っていなかった記憶がある携帯電話。私が購入した2年後には殆どの人が持っていました。初めて持った携帯はNECのN502itでした。所謂「Nパカ」ですね。256色の液晶画面を初搭載した機種で、待ち受け画面にKanonのCGを縮小したものを誇らしげに設定してました、当時。と言うか256色の画面でゲームの画像を待ち受けにする為にこの機種にした記憶があります。着メロと言い、色々と思い入れのある機種でした。
それからは一人一台が当たり前になった携帯ですけど、入った頃は後述のネットの絡みもあり設置電話を引くのが当然で、留守番電話もよく活用していました。
携帯が本格的に普及する前と後で大きく変わったは「待ち合わせ」だと思います。入った頃の待ち合わせと言えば、時間と場所、特に「○○の場所の××の前で」と言った具体的な設定をする事が多かったです。連絡が取れないから確実に会う為に仔細を詰める必要があったんですよね、それに時間前に行くのは普通でした。
私は当時ネットのオフ会に参加する事が多かったんですが、そこでは初対面同士が会うので自分の背格好や服装、目印になるものを付けると言った事を普通にやっていた記憶があります。だから、今より駅前のランドマークになりやすいものの傍は待ち合わせの人手溢れていました。
今は、とりあえず近くに来たら電話して~って感じですものね。それは言い悪いは別として、「会う」事に対して真剣だったと言うか、一期一会的なものを大切にしていた時代の気がします。
ネット
一番変わったもの、やっぱりこれですよね。このインフラによってデジタル文化が後押しされたと言っても過言ではないと思います。
入った頃、大学がプロバイダのような役割の電話回線を提供していたので、私の周りではとりあえずPCと電話回線を準備して、大学のプロバイダに繋いでネットをするって人が割といました。私もその一人でした。
回線速度はアナログの56kが主流でした。他の速度のモデムも存在は知っていましたが、入った頃にモデムを買ったり、PCに付いていたりしたモデムはほぼ全て56kだった記憶があります。ISDNは図書館等のお試しコーナーで触った程度でした。「ISDNが64kって言っても56kと殆ど変わらないじゃないか!」的な思い込みをしていました。それにISDNは初期投資が必要でしたしね。
記憶が多少あやふやですが、当時大学の回線は30回線ぐらいあった気がします。当時のネットはテレホーダイ前提なので、一般人は23時からがネットの時間です。だけど、23時丁度に繋ぐと熾烈な回線争いがあって繋げない事も多かったので、22時55分過ぎぐらいから繋ぐのが日課になっていました。(タイムプラスに契約して市内料金を3分10円→5分10円に……ってこんな話してると本当に自分の年と感じざるを得ません。)
それに回線も不安定だったので、12時前後は切断される事も多く、12時頃に切断されると再接続までに数十分……なんて事も珍しくありませんでした。だから、回線争いに嫌気がさしてプロバイダに契約したのを覚えています。でも結局接続が保障されるだけで、23時-8時がネット時間って言うのは変わらないんですけどね。
サークルの面子と朝までIRCでチャットをしながら過ごして、8時を数分回った頃に皆名残惜しくネットを切断して、そのまま近くのなか卯で朝食を食べて寝る……そんな絵に描いたような自堕落な生活をしてた日々が今は懐かしいです。
2001年頃からADSLになりましたが……24時間高速回線常時接続と言うのは生活を駄目にしますね。色々と便利になった反面、歯止めが効かなくなって生活が一変したような気がします。そんな時にネットゲームに嵌ってしまうと……後は言うまでも無いですよね。
一番言いたかった事
閑話休題。
なんだか単なる昔語りになってしまって収集が付かなくなりました。
結局、媒体のデジタル化と言うのは、それを快適に使えるネットワークがあってこそなんですよね。声も写真も映像も、全部ネットに乗って伝えたり、保存したり、参照したり、拡散したり出来るようになりました。大容量のものを高速にね。
デジタル化によって一番変わった事は、デジタル化されたデータなら、2点間の距離と時間を(ほぼ)0にする事が可能なんですよね。日本で撮った写真を、作った文章を、殆どタイムラグ無しで地球の裏側にだって送る事が出来る。どんな場所に居る人とでも、コミュニケーションが取れる。しかも、個人レベルで安価で簡単に。
もちろん、データが劣化しない、複製可能、と言うメリットもあるでしょうが、この「繋がる感覚」は本当に新鮮でした。描いていた近未来の到来を本当に実感しましたね。良いとか悪いとかは置いておいて、自分の目の前の画面の中が世界と繋がっている感覚。今ではそれが当然で、そこに感動や意味なんて考えないのかもしれませんけど、その感覚を味わえる世代に居た事を本当に嬉しく思います。
それを意識せずに普通に道具・手段として使えるようになるって事が、インフラとして普及するって事なのかもしれませんね。
そんな事を考えながら、PCの中にあるデジタル化された昔の写真を眺めたり、アルバムを引っ張り出して当時撮った写真を眺めていました。
デジタルデータとして視覚情報が伝われば、それに紐付く記憶を呼び起こす事が出来ます。当時の情景を思い出す事が出来るので、役割は十分に果たしているのかもしれません。
だけど、アルバムの中の写真は視覚に加えて、実際手に持った時の触覚も与えてくれます。その感覚が思い出した記憶に花を添えてくれているような気がしました。単なる感傷かもしれません、多分そうです。日に焼けて黄色く変色した写真。その物理的な劣化が、思い出の情景を二度と戻れない過去のものだと無言の内に言っている気がします。ただの寂寥感です。
現状、デジタルデータとして扱えるのは、視覚と聴覚です。これがデジタル化されて時間と距離を超える事が出来るようになっただけで、私達は距離と時間を越えて他の人と「繋がる」事が可能になりました。
これで残りの味覚、嗅覚、……そして触覚がデジタル化されたら、目の前の世界全てが距離を時間を越えてしまう。そうなったら、自分の体がアナログで居続ける意味は何?記憶の積み重ねで構成される自我だって、感情だって……。そんな恥ずかしい妄想をしてしまう自分がいます。完全にSFの世界ですけど、SFでは定番のテーマかつ、ここ最近アニメや作品でそんなテーマを扱うものが多いですからね。
目の前の画面の中で世界と繋がる現代、願わくは自分が生きている内に、画面と言う枠を超えたところでデジタル化を体感したいなぁ、と。
そんな事を考えているうちに8月が終わってしまいました。
すっかり涼しくなった風を感じながら意識を外に向けると、秋の虫が鳴いています。
秋です。大好きな季節です。
夏と冬の間の季節。夏の終わりと冬の始まりに押されて自己主張がなかなか出来ないで居る期間が多いかもしれませんが、夏の終わりは秋の始まり、冬の始まりは秋の終わりなんです。
暑い夏!寒い冬!そんなスイッチのように季節が切り替わる感覚を覚える昨今だからこそ、移ろい行く季節の流れを感じていたい。
秋の中にある夏の忘れ物、近づいてくる冬の足音、そして何より秋の息吹を私の五感全部で思いっきり感じたい。