Marumaru's TinyPlaza

(2018.07.03)(book)作詞少女~詞をなめてた私が知った8つの技術と勇気の話~

『作詞少女~詞をなめてた私が知った8つの技術と勇気の話~』/仰木日向


前回書いた作曲少女の続編。

ライトノベルと言うか物語としては、この作詞少女の方が面白かった。

作曲少女は、クリエータとして創造的な事をする為の気持ちの在り様―とにかく技術は良いから自分が気持ち良いものを作ろう―と、技術(音楽理論)は作曲が出来るようになって初めて役立つもの、という事について書かれていたと私は思いました。

作詞少女は、作詞という行為の意味合いや、言葉との向き合い方について書かれていたように思います。作詞って作曲と違って、日本語を読み書き出来る人なら誰でも、何らかの答えは出せてしまうものなんですよね、私もそう思っていました。

だけど、この本で言われている「作詞とは『音楽語の日本語吹き替え』である」、という言葉に衝撃を受けました。例えるなら音楽とは映画であって、インストゥルメンタルは無声映画、歌詞と歌声が入っている曲は吹き替え付きの映画。映画も音や声が付くことによってより視聴者に分かりやすいものになるように、音楽も歌詞と歌声が付くことで曲の世界をより分かりやすく伝えてくれている。そんな風に考えた事が無かったので、本当に目から鱗でした。

更に衝撃だったのが、作詞を通じた言葉との向き合い方について。言霊という言葉があるように、言葉には口に出す事で力を持つ。思っていない事でも、何度も何度も口に出していると、それは自分の考えとして自分の中に戻ってくる。そんな力を言葉は持っている。ヒット曲のような何度も何度も繰り返し口ずさまれるような歌の歌詞は、何の気なしに歌っていても歌詞の内容は気持ちに反映されるかもしれない。

それって、つまり呪術ではないのだろうか?作詞をするという事は、そんな力を操る事。だから綺麗事だけではなく、自分の心の中の汚い部分とも向き合って、自分自分に問い掛けをしそして言葉を操っていかなければいけない。と、そんな事が書かれていました。この言葉の持つ力については平素から思うことがあったので、作詞と言う行為を通じた言葉の扱い方という解釈で興味深かったでうす。

それと、作詞とは直接関係ないんですが、この本で一番印象に残ったのが、主人公が普段から書きとめているポエムノート(通称:ココロノート)をクラスメイトに見つかってしまい恥ずかしさのあまりノートを捨てようとするシーン。そのシーンで先生役の子が激怒するんです。曰く、「創作が恥ずかしいのは『自分らしい』から」だと。自分らしくないものは見られても恥ずかしくないんだ、と。だから、それは自分自身だから絶対に手放してはダメだと。

この考え、とても分かるんです。自分もサイトでポエムを書いていますが(最近はあまり書いていませんが)、正直とても恥ずかしいんですね。目の前で読まれたりすると顔から火が出そうなぐらい。だけど、それらのポエムは自分が自分の心と向き合って紡ぎ出したとてもとても大切なものなんです。だから、無かった事にはしたくない。昔のものでも、当時の自分の気持ちが詰まっているから、切り離したくは無い。そんな気持ちがあります。

人によっては、昔のものは恥ずかしいだけだし、昔のものに拘っていると成長が無いから、どんどん更新していくという考えの人もいます。イラストの分野で多い考えかもしれません。だけど、詩という言葉については、技巧だけでは無いような気がするんです。言葉遊びも当然ありますが。

ポエムページのトップに書いている言葉が、自分の詩に対する想いだったりします。あのポエムの大半は大学時代のものなので、何と言うか夢見がちだったんだと思いますが、そんな多感な時期だからこそ拾い紡げた言葉もあると思っています。

話が逸れましたが、繋がっているし異なる作詞と作曲の世界。作曲少女と作詞少女は2冊でひとつの音楽と言うものを語った物語だと思いました。登場人物がリンクしているところもあって、面白かったです。ただ、どちらの本に対しても言えますが、先生役の子に対して、こんな悟った高校生は嫌だ、とは思いました(笑)




<(2018.06.19)(book)作曲少女~平凡な私が14日間で曲を作れるようになった話~ (2018.07.12)(book)メルヘンファンタジーな女の子のキャラデザ&作画テクニック>