Marumaru's TinyPlaza

(2018.08.15)2018ペルセウス座流星群

今年のペルセウス座流星群の極大は8月13日の10時頃。観測するなら12日の夜~14日の夜。ベストなのは13日夜の出来るだけ明け方近く。14日の夜は予定が入っていて、12日の夜は空模様が悪かったので、13日の夜に一縷の望みをかけていたんですが、お昼過ぎから突然の夕立。本当は13日の夜は晴れる予報だったんですが、雨雲レーダを見ると岡山県北部に雨雲が突如発生して、それが南下している模様。

それでも、21時台なら何とか雨雲の切れ間がありそうだったので、山に行っていました。極大をむかえる時刻の直前の夜、しかも11日が新月というほぼ最高の観測条件。だから、一面に晴れ渡った夜空なんて必要ないんです。山に行っている数時間のうち、数十分でも雲が切れてくれたら。輻射点は北東の空だけど、山の山頂付近に寝転がって夜空を眺めているんだから、夜空が何処でも良いから晴れてくれれば。それだけで十分に流れ星を観測出来る、そんな夜でした。

結果的には90分ぐらい居たうちの殆どの時間で夏の大三角が見えるぐらいの見晴らしはあって、30分ぐらいは天の川がはっきり見えて、目の悪い私でも星座の線が繋げなくぐらいの星空でした。

寝転がって眺めていた広い広い夜空を、飛行機雲のような長く太い尾を付けた流れ星が駆けて行ったんです。夜空をゆっくりと伸びて行く黄緑の尾は、あまりにも太すぎて咄嗟に流れ星と認識出来ないぐらいで、最初に感じたのは「ヤバイのがきてる。これが落ちたら地球が終わるかも。」という潜在的な恐怖。

流れ星が消えた後に、今自分が見たものが何だったのかが実感出来て、夢うつつな気分でした。時間にすればほんの数秒。だけど、その時間、その場所で出会える事は誰にも予想の出来ない出会いに巡り合えた事が、本当に嬉しかったんです。


思い起こせば高校の時に、パソコン部と写真部と天文部が合わさったよろず部に入っていたんですが(私はほぼパソコンを触りに行ってた)、夏になると天体観測があって、近所の山に星を眺めに行っていました。田舎の、その中でも星が綺麗とされる場所に住んでいたので、星の事はよく分からなくても、詳しい人に教えて貰いながら寝転がって星を眺めているのは楽しい時間でした。何でも無い日でも一晩夜空を眺めていれば流れ星って流れるんだなぁ、と当時思ったのを覚えています。

当時は夜になると星が見えるのを当たり前のように思っていましたが、都会で働いていた時、夜空に星が殆ど無い状況に寂しさを覚えていました。

そして、地元に帰ってきた時に、せっかく星が綺麗な場所に居るんだから、3大流星群(ペルセウス座流星群、しぶんぎ座流星群、ふたご座流星群)が来る日ぐらいは山に行って星を眺めてみようかなと思い立ったんです。

それから、ふたご座流星群だったと思うんですけど、色々と好条件が重なって、夜空をヒュンヒュンと駆ける流れ星を見られた時があって、地元で見る流星群ってすごいな!と妙に感動を覚えました。それから、その時の記憶と面影を求めて流星群を見に山に行っているんですが、月が明るかったり、曇ったり雨だったり、都合が悪かったりで、なかなか気持ちの良い流星群を見られませんでした。往々にしてよくある事ですよね。

夜空を星が流れるのって、純粋に綺麗でワクワクするんですよね。それが、流星群なら短い時間で沢山の流れ星を見る事が出来ます。普段は空に浮かんでいる星が、夜空を流れる。ただそれだけの事と捉えるか、そこに言葉に出来ない何かを感じるのか。

流れ星観察って、お金もかからなくて体を持っていって空を眺めるだけっていう本当に手軽な趣味なんですが、下調べを入念にして、どれだけ条件が良い日に見ようとしても、空が曇ったらそれでおしまい、もうどうやっても見られない、って自然に弄ばれてる感じがなんとももどかしいです。

だけど、だからこそ、条件を整えて、何時何処に現れるか分からない流れ星を待って、ただひたすらに「夜空を眺める」時間というのは、年を重ねれば重ねる程に貴重なんじゃないかな、と思ったりもします。

なんだろな。RPGでレアドロップを求めて延々MOBを狩り続けたり、パッシブスキルのスキルLvを上げて発動に喜びを感じる人は、好みが合う趣味なのかもしれません。と、ここまで書いてて、一番近いのはパチスロなのかな、と思ったり。自分に合う台(流星群)を見つけて、環境の良いホール(山)を探して、観測条件の良い日に(高設定の台で)、星が流れる(当たりを引く)まで延々と眺め(回し)続ける。

それは冗談ですが、静かな自然の中で、待つ時間を通じて気持ちを自分の内側に向け心を円にする時間の中で、夜空の大きな贈り物と出会えるかもしれない夜っていうのは、やっぱり好きです。

しかし、今回、こんなに素晴らしくも幻想的な流れ星を見てしまったが為に、今後はこの流れ星の面影を追い求めながら山に行く事になるんだろうな(そして、その探求は片想いに終わるんだろう)。と、自分で確信めいた予感がしています。

流れ星の幻想に囚われる人生っていうのも、それはそれで悪くは無いものかもしれない。面と向かって人に言う事はあまり無いでしょうが。

とりとめのない文章ですが、こういう文章を書きたい時に書く為に、私は自分のホームページって場所を作っているんだと思うのです。



(2018.08.16)ポーラ美術館コレクションに行ってきた

岡山県立美術館の特設展「ポーラ美術館コレクション」に行ってきました。


以前から楽しみにしていた特設展なので、期間内に行けて本当に良かった。印象派は分かりやすく綺麗なので好きです。そして絵の具の厚塗り具合や、遠くで見た時と近づいて見た時の印象の違いが面白いので、実物を見られる機会は出来るだけ逃したくないところ。

この特設展の特徴として、展示を含めた館内の一部が写真撮影可能なんです(フラッシュは不可)。

こんな感じに。シャッターの音が鳴り響く美術館というのも中々に新鮮なものでした。

モネの積みわら。大原美術館で連作の別作品を見ていたので、県立美術館で外の連作を観られたのは感激でした。色んなところでちょこちょこ目にする有名な作品ですが、その場所の空気を感じられるような気がして好きな作品です。

で、今回の特設展のメインビジュアルにもなっている、ルノワールの「レース帽子の少女」です。この時代の作風を「真珠色の時代」と呼ばれている事を解説で知りましたが、確かに真珠と形容するのがぴったりだと思いました。

影が明るい色で入っている透明感がとても好き。そして柔らかそうで暖かそうな感じが何とも言えないです。この辺りの絵画は自分の趣味嗜好の原点になっていると思います。

そして、撮影が出来ないコーナーでピカソのキュービズムの作品が何点かあったんですが、昔見た時と今見たときで印象がだいぶ違いました。

この絵が良いのか悪いのかは分かりませんが、一目見た時に忘れられないインパクトを与える作品と言うのは、それだけ力を持った作品ですし、絵画の実際の用途を考えた時に、それはとても大切な要素の一つなんだと思います。

そう言えば、今回のポーラ美術館コレクションの特設展が一部とは言え撮影可能になった経緯を学芸員さんに尋ねてみました。曰く、絵画は著作権があるので作者の死後50年までは基本的に撮影は出来ない。そして、死後50年を超える作者の作品でも様々な理由で展示に撮影可になる事は少ない。今回はコレクションの所有者であるポーラ美術館さんのご好意で撮影可になったので、死後50年経っている作者だけで構成されているコーナーの一部を撮影可にしたとの事でした。


帰りにちょっと足を伸ばして、岡山唯一のメイドカフェ、「しゃるろっと」に行ってきました。


以前から存在は知っていたんですが、駅からちょっと離れていたので、なかなか行く機会がありませんでした。

10年ぐらい前に岡山にメイドカフェが乱立した時があって、何事かと思っていましたが、現在はメイドカフェはこのしゃるろっと一店みたいです。岡山のメイドカフェの老舗で今年で13周年との事。

店内はいい意味で落ち着いていて、メイドカフェが群雄割拠した時代を生き抜いた老舗の風格を感じました。ほんと、雰囲気が落ち着いているんですよ。

夕方の時間でお客さんは自分達以外に数人いらっしゃったんですが、驚いたのがその時間をメイドさんが1人で回してるんです。キッチンからホールから全部。で、お客さんと気さくな感じで話もしていて。

で、お会計はテーブル会計だったんですが、メイドさんが小型の手提げ金庫を持って来て目の前で会計をしてくれたんです。あれ?レジ使わないの?って思ったんですが、メイド喫茶なのでお客さんの退店時に入り口まで見送ってくれるんですよ。で、一人でお店を回していると、見送りの時にお店が一瞬とは言え空になっちゃうから、それで手提げ金庫を持ち歩いているのかな、と。

夕方の時間とは言えアルコールも提供していたので、そのお店を若い女性一人で回す為の工夫の一つなのかな、と妙に関心しました。この辺りのノウハウの積み重ねが、老舗メイドカフェの老舗足り得る所以なのかもしれません。

色々な理由で仕方ないとは思うんですが、ホットコーヒーと生ビールとホットケーキが同じ価格なので、電車で来てる時なら躊躇無くアルコールを頼んでフードメニューを食べた方が楽しめるお店だと思いました。

あと、以前から気になっていたドイツ料理のお店、GreatGermanCookがメイド喫茶の近所だった事を知ったので店構えを写真に。まだ開店前でしたが、このお店もどこかでタイミングを作って行きたいところ。


今日、久々に岡山に行ったんですが、やっぱり人が多くて活気もあって面白い。微妙に遠いので中々出てくる事が少ないんですが、機会を作ってまた行きたいな、と。



義実たか ほぅ…なんか良さげですね>シャルロット
雰囲気というか、色んな工夫をして店を作り上げてる感じが興味を惹かれます。
…メイドさんがどうだったか、はまぁおいとくとしてw

あと、積みわらが柔らかい感じと奥行き感じて好み。 (2018/08/16 21:30:56)

まるまる
返事が遅くなって本当に申し訳ありません。
試行錯誤が垣間見える良い意味での手作り感は、良いものですね。

油絵は塗りが厚いので、立体感があって見ていて楽しいです。
是非、機会があれば実物を見てみて下さい。
近くで見るのと離れて見るのとで印象が違って面白いです。 (2018/10/13 08:29:30)

(2018.08.24)(book)ワカコ酒(11巻)

『ワカコ酒』(11巻)/新久千映


この漫画は、出始めた頃に友達から勧められて最初の方(4巻ぐらい迄?)は読んでいたんですが、いつの間にか御無沙汰になっていたところ、先日、友人の日記で最新刊の11巻が出た事を知って、久しぶりにと11巻を読んでみました。

そうすると、主人公のワカコがかなり大人っぽくなっていて驚きました。純粋にイラストの等身が上がったのもあると思うんですが、振る舞いや纏っている雰囲気も含めて、明らかに連載当初より年を重ねた女性として描かれていたように思います。

最初は、働き出して少し余裕が出来てたOLが仕事の疲れを街の居酒屋で癒す。新しい酒や肴との出会いに飛び込んでいく!これが明日への活力!みたいな感じだったんですが、11巻では何と言うかひどく落ち着いていて、あまりガッつかずに「ほほぅ、こういうのもあるのね」みたいな感じに。ある種のルーティンのように、生活の中に美味しいお酒と過ごす時間、みたいなものが組み込まれているようにすら思いました。

そして何より、独身貴族と言うか、俗に言う「おひとり様」を満喫してるなぁ、と。もともと色恋沙汰を取り上げた作品で無いので、必要無い部分は敢えて触れないと言われればそれまでなんですが、それを差し置いても、婚期がとか、出会いが、みたいな焦燥感のようなものは微塵も無くて、当たり前にように一人で居ることの選択をしているんです。

この作品の舞台はおそらく広島(もっと言うと、広島市の繁華街である八丁堀辺り)だと思うんですが、広島の都市部ぐらいの規模が、一人で暮らしていくという選択肢が普通に存在する境界なのかなぁ、と。以前暮らしていた名古屋では、結婚をするのも一人で居るのも、その人の選択の一つという考えが出来上がっていて、その事について特にとやかく言う人や風潮もありませんでしたし、それぞれの生き方についての環境が整っていました。そして、それぞれの考え方、生き方を支えるだけの人口がいました。

自分が今住んでいる岡山県の田舎では、どうやっても結婚するという道筋が本流で、一人で居るのはその流れに乗れなかった人であり、何らかの理由がある、という考えに基づいたプレッシャーが内外から発生しているように思います。それはそれで仕方の無い事なんですが、広島市(人口120万人)辺りが、人口、家族構成、仕事状況、諸々に基づいたライフスタイルの分水嶺になるのではないか。

と、そんな事をワカコ酒の11巻を読みながら何となく思いました。

ちなみに、等身以外にも、初期に比べて凝った角度からの構図(アングル?)が多く、絵柄も人物はシンプルにする反面、酒や料理は描き込んでその対比で画面を引き立たせているような印象を受けました。

ここ暫く乱立している酒・食べ物系作品の牽引役になった作品の一つとは言え、OLが仕事帰りに居酒屋で酒飲んでプシューって言ってる展開で、よくここまで連載が続いているなぁ、と思いました。起源にして頂点という風格さえ感じます。




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