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   D r o p   o f   p a s s i n g   m o m e n t .

     A n   e s s e n c e   o f   d a i l y   l i f e .

       T h e   c a n v a s   p a i n t e d   m y   c o l o r .

         E n c o u n t i n g   n e w   s e n s i b i l i t y .

(2018.08.16)ポーラ美術館コレクションに行ってきた

岡山県立美術館の特設展「ポーラ美術館コレクション」に行ってきました。


以前から楽しみにしていた特設展なので、期間内に行けて本当に良かった。印象派は分かりやすく綺麗なので好きです。そして絵の具の厚塗り具合や、遠くで見た時と近づいて見た時の印象の違いが面白いので、実物を見られる機会は出来るだけ逃したくないところ。

この特設展の特徴として、展示を含めた館内の一部が写真撮影可能なんです(フラッシュは不可)。

こんな感じに。シャッターの音が鳴り響く美術館というのも中々に新鮮なものでした。

モネの積みわら。大原美術館で連作の別作品を見ていたので、県立美術館で外の連作を観られたのは感激でした。色んなところでちょこちょこ目にする有名な作品ですが、その場所の空気を感じられるような気がして好きな作品です。

で、今回の特設展のメインビジュアルにもなっている、ルノワールの「レース帽子の少女」です。この時代の作風を「真珠色の時代」と呼ばれている事を解説で知りましたが、確かに真珠と形容するのがぴったりだと思いました。

影が明るい色で入っている透明感がとても好き。そして柔らかそうで暖かそうな感じが何とも言えないです。この辺りの絵画は自分の趣味嗜好の原点になっていると思います。

そして、撮影が出来ないコーナーでピカソのキュービズムの作品が何点かあったんですが、昔見た時と今見たときで印象がだいぶ違いました。

この絵が良いのか悪いのかは分かりませんが、一目見た時に忘れられないインパクトを与える作品と言うのは、それだけ力を持った作品ですし、絵画の実際の用途を考えた時に、それはとても大切な要素の一つなんだと思います。

そう言えば、今回のポーラ美術館コレクションの特設展が一部とは言え撮影可能になった経緯を学芸員さんに尋ねてみました。曰く、絵画は著作権があるので作者の死後50年までは基本的に撮影は出来ない。そして、死後50年を超える作者の作品でも様々な理由で展示に撮影可になる事は少ない。今回はコレクションの所有者であるポーラ美術館さんのご好意で撮影可になったので、死後50年経っている作者だけで構成されているコーナーの一部を撮影可にしたとの事でした。


帰りにちょっと足を伸ばして、岡山唯一のメイドカフェ、「しゃるろっと」に行ってきました。


以前から存在は知っていたんですが、駅からちょっと離れていたので、なかなか行く機会がありませんでした。

10年ぐらい前に岡山にメイドカフェが乱立した時があって、何事かと思っていましたが、現在はメイドカフェはこのしゃるろっと一店みたいです。岡山のメイドカフェの老舗で今年で13周年との事。

店内はいい意味で落ち着いていて、メイドカフェが群雄割拠した時代を生き抜いた老舗の風格を感じました。ほんと、雰囲気が落ち着いているんですよ。

夕方の時間でお客さんは自分達以外に数人いらっしゃったんですが、驚いたのがその時間をメイドさんが1人で回してるんです。キッチンからホールから全部。で、お客さんと気さくな感じで話もしていて。

で、お会計はテーブル会計だったんですが、メイドさんが小型の手提げ金庫を持って来て目の前で会計をしてくれたんです。あれ?レジ使わないの?って思ったんですが、メイド喫茶なのでお客さんの退店時に入り口まで見送ってくれるんですよ。で、一人でお店を回していると、見送りの時にお店が一瞬とは言え空になっちゃうから、それで手提げ金庫を持ち歩いているのかな、と。

夕方の時間とは言えアルコールも提供していたので、そのお店を若い女性一人で回す為の工夫の一つなのかな、と妙に関心しました。この辺りのノウハウの積み重ねが、老舗メイドカフェの老舗足り得る所以なのかもしれません。

色々な理由で仕方ないとは思うんですが、ホットコーヒーと生ビールとホットケーキが同じ価格なので、電車で来てる時なら躊躇無くアルコールを頼んでフードメニューを食べた方が楽しめるお店だと思いました。

あと、以前から気になっていたドイツ料理のお店、GreatGermanCookがメイド喫茶の近所だった事を知ったので店構えを写真に。まだ開店前でしたが、このお店もどこかでタイミングを作って行きたいところ。


今日、久々に岡山に行ったんですが、やっぱり人が多くて活気もあって面白い。微妙に遠いので中々出てくる事が少ないんですが、機会を作ってまた行きたいな、と。



義実たか ほぅ…なんか良さげですね>シャルロット
雰囲気というか、色んな工夫をして店を作り上げてる感じが興味を惹かれます。
…メイドさんがどうだったか、はまぁおいとくとしてw

あと、積みわらが柔らかい感じと奥行き感じて好み。 (2018/08/16 21:30:56)

(2018.08.15)2018ペルセウス座流星群

今年のペルセウス座流星群の極大は8月13日の10時頃。観測するなら12日の夜~14日の夜。ベストなのは13日夜の出来るだけ明け方近く。14日の夜は予定が入っていて、12日の夜は空模様が悪かったので、13日の夜に一縷の望みをかけていたんですが、お昼過ぎから突然の夕立。本当は13日の夜は晴れる予報だったんですが、雨雲レーダを見ると岡山県北部に雨雲が突如発生して、それが南下している模様。

それでも、21時台なら何とか雨雲の切れ間がありそうだったので、山に行っていました。極大をむかえる時刻の直前の夜、しかも11日が新月というほぼ最高の観測条件。だから、一面に晴れ渡った夜空なんて必要ないんです。山に行っている数時間のうち、数十分でも雲が切れてくれたら。輻射点は北東の空だけど、山の山頂付近に寝転がって夜空を眺めているんだから、夜空が何処でも良いから晴れてくれれば。それだけで十分に流れ星を観測出来る、そんな夜でした。

結果的には90分ぐらい居たうちの殆どの時間で夏の大三角が見えるぐらいの見晴らしはあって、30分ぐらいは天の川がはっきり見えて、目の悪い私でも星座の線が繋げなくぐらいの星空でした。

寝転がって眺めていた広い広い夜空を、飛行機雲のような長く太い尾を付けた流れ星が駆けて行ったんです。夜空をゆっくりと伸びて行く黄緑の尾は、あまりにも太すぎて咄嗟に流れ星と認識出来ないぐらいで、最初に感じたのは「ヤバイのがきてる。これが落ちたら地球が終わるかも。」という潜在的な恐怖。

流れ星が消えた後に、今自分が見たものが何だったのかが実感出来て、夢うつつな気分でした。時間にすればほんの数秒。だけど、その時間、その場所で出会える事は誰にも予想の出来ない出会いに巡り合えた事が、本当に嬉しかったんです。


思い起こせば高校の時に、パソコン部と写真部と天文部が合わさったよろず部に入っていたんですが(私はほぼパソコンを触りに行ってた)、夏になると天体観測があって、近所の山に星を眺めに行っていました。田舎の、その中でも星が綺麗とされる場所に住んでいたので、星の事はよく分からなくても、詳しい人に教えて貰いながら寝転がって星を眺めているのは楽しい時間でした。何でも無い日でも一晩夜空を眺めていれば流れ星って流れるんだなぁ、と当時思ったのを覚えています。

当時は夜になると星が見えるのを当たり前のように思っていましたが、都会で働いていた時、夜空に星が殆ど無い状況に寂しさを覚えていました。

そして、地元に帰ってきた時に、せっかく星が綺麗な場所に居るんだから、3大流星群(ペルセウス座流星群、しぶんぎ座流星群、ふたご座流星群)が来る日ぐらいは山に行って星を眺めてみようかなと思い立ったんです。

それから、ふたご座流星群だったと思うんですけど、色々と好条件が重なって、夜空をヒュンヒュンと駆ける流れ星を見られた時があって、地元で見る流星群ってすごいな!と妙に感動を覚えました。それから、その時の記憶と面影を求めて流星群を見に山に行っているんですが、月が明るかったり、曇ったり雨だったり、都合が悪かったりで、なかなか気持ちの良い流星群を見られませんでした。往々にしてよくある事ですよね。

夜空を星が流れるのって、純粋に綺麗でワクワクするんですよね。それが、流星群なら短い時間で沢山の流れ星を見る事が出来ます。普段は空に浮かんでいる星が、夜空を流れる。ただそれだけの事と捉えるか、そこに言葉に出来ない何かを感じるのか。

流れ星観察って、お金もかからなくて体を持っていって空を眺めるだけっていう本当に手軽な趣味なんですが、下調べを入念にして、どれだけ条件が良い日に見ようとしても、空が曇ったらそれでおしまい、もうどうやっても見られない、って自然に弄ばれてる感じがなんとももどかしいです。

だけど、だからこそ、条件を整えて、何時何処に現れるか分からない流れ星を待って、ただひたすらに「夜空を眺める」時間というのは、年を重ねれば重ねる程に貴重なんじゃないかな、と思ったりもします。

なんだろな。RPGでレアドロップを求めて延々MOBを狩り続けたり、パッシブスキルのスキルLvを上げて発動に喜びを感じる人は、好みが合う趣味なのかもしれません。と、ここまで書いてて、一番近いのはパチスロなのかな、と思ったり。自分に合う台(流星群)を見つけて、環境の良いホール(山)を探して、観測条件の良い日に(高設定の台で)、星が流れる(当たりを引く)まで延々と眺め(回し)続ける。

それは冗談ですが、静かな自然の中で、待つ時間を通じて気持ちを自分の内側に向け心を円にする時間の中で、夜空の大きな贈り物と出会えるかもしれない夜っていうのは、やっぱり好きです。

しかし、今回、こんなに素晴らしくも幻想的な流れ星を見てしまったが為に、今後はこの流れ星の面影を追い求めながら山に行く事になるんだろうな(そして、その探求は片想いに終わるんだろう)。と、自分で確信めいた予感がしています。

流れ星の幻想に囚われる人生っていうのも、それはそれで悪くは無いものかもしれない。面と向かって人に言う事はあまり無いでしょうが。

とりとめのない文章ですが、こういう文章を書きたい時に書く為に、私は自分のホームページって場所を作っているんだと思うのです。



(2018.07.20)(book)アズールレーン episode of belfast

『アズールレーン episode of belfast』/助供珠樹


知人からお薦め頂いた本です。アズレンは未プレイだったんですが、おかげで設定が分かりました。どうでも良いんですが、表紙のキャラを見た時(話の主役のベルファルトでした)に、「夜明け前より瑠璃色な」のメインヒロインであるフィーナを思い出しました。紫がかった銀髪ロングのキャラは大好きです。

ベルファルトという真面目なメイド長が、自分らしさを探して色々と頑張るお話。設定上、登場人物が全員女性なので、頑張るマジメな女の子とそれを取り巻く面子のキャッキャウフフな話でもあります。

何を以って自分らしいとするのかって難しいです。そして自分のキャラクタ(特性)というものは、自分が決めるのではなくて周りの人達と相対的に比べた時、周りの人達が作るものですもんね。

そうすると、自分が周りからどう見られたいのか。つまり、どんな風に見られる自分になりたいのか、って話になります。自分の在るべき姿が分かれば、自分がどう行動するべきなのかも分かる。つまり自分自身に自信が持てる。その自分に軸がある姿というのが、周りから見た時に「自分らしい」姿なのかもしれない。

そんな事を、ベルファルトが様々な体験や周りとの遣り取りの中から見つけて行く話でした。が、そんなテーマはあるものの、基本的にはほのぼのとした日常を描く中で、ベルファルトというキャラクターの魅力を掘り下げて行く感じで、まんがライフ系の4コマ漫画のような雰囲気でした。

今回、kindleのハイライト機能を初めて使ったんですが、この機能とても便利ですね。もともと小説は気に入ったフレーズとかに線を引きたい人なんですが、本が汚れずからなかなか出来ず、どうしてもって場合は付箋を貼ったりしていたんですが、そんな読み方をするならこのハイライト機能はぴったりでした。ハイライトを付けた部分を後で一括ピックアップ出来たり、ハイライトしていない部分でも本文の全文検索が出来たりと、電子書籍ならではの読み方を堪能させてもらいました。

あと、他作品のパロディはとても好きなんですが、パロディが入ると作品に対する見方が、「その世界を描いたもの」から一気に「現実世界の話」、って印象になってしまいます。アズレンの場合はそれでも問題ないのかもしれませんが。



(2018.07.12)(book)メルヘンファンタジーな女の子のキャラデザ&作画テクニック

『メルヘンファンタジーな女の子のキャラデザ&作画テクニック』/佐倉おりこ


前から気になっていた本、やっと買えました。

何はさておき、この表紙の素晴らしさよ。この表紙で魅かれた人はこの本を買うだろうし、買った人なら満足する事間違い無しって言う幸せな関係。フリルや花束をはっきりした主線で描き込まれていますが、それが主張しすぎる事の無くアクセントとして絵を引き立てている全体のバランスは本当に最高です。

で、中身ですが、まさに「可愛いの設計図」とでも言うべき内容です。表紙絵のようなメルヘンファンタジーの世界観で、様々なテーマ別の女の子の衣装が描かれています。この様々な衣装が同じフォーマットを保ってずらっと並んでいる感じ、カタログみたいですごく好きです。

昔で言うとドラクエの攻略本に載っている装備のイラストを眺め、最近だとモンハンの攻略本に載っている装備絵で夢想をしているような自分には堪らないです。衣装のディティールやギミックが別枠で説明されているのが更に最高です。

巻頭にフルカラーCGが相当数載っていてCG集としても楽しめますし、作業環境やメイキング、着色やCG技術に関しての解説もあり内容の詰まった一冊です。

ちなみに表紙の女の子と不思議に国のアリスっぽい女の子が手を繋いでるイラストもあって、百合者にも楽しめる内容ではないかと。

とりあえず自分は大満足、っていうか現世(うつつよ)の桃源郷をここに見たり!的な感じですし、欲しい人は何も言わずに即購入な本だとは思うんですが、存在を知らなかった人の目に少しでも触れると良いな、と思って。



(2018.07.03)(book)作詞少女~詞をなめてた私が知った8つの技術と勇気の話~

『作詞少女~詞をなめてた私が知った8つの技術と勇気の話~』/仰木日向


前回書いた作曲少女の続編。

ライトノベルと言うか物語としては、この作詞少女の方が面白かった。

作曲少女は、クリエータとして創造的な事をする為の気持ちの在り様―とにかく技術は良いから自分が気持ち良いものを作ろう―と、技術(音楽理論)は作曲が出来るようになって初めて役立つもの、という事について書かれていたと私は思いました。

作詞少女は、作詞という行為の意味合いや、言葉との向き合い方について書かれていたように思います。作詞って作曲と違って、日本語を読み書き出来る人なら誰でも、何らかの答えは出せてしまうものなんですよね、私もそう思っていました。

だけど、この本で言われている「作詞とは『音楽語の日本語吹き替え』である」、という言葉に衝撃を受けました。例えるなら音楽とは映画であって、インストゥルメンタルは無声映画、歌詞と歌声が入っている曲は吹き替え付きの映画。映画も音や声が付くことによってより視聴者に分かりやすいものになるように、音楽も歌詞と歌声が付くことで曲の世界をより分かりやすく伝えてくれている。そんな風に考えた事が無かったので、本当に目から鱗でした。

更に衝撃だったのが、作詞を通じた言葉との向き合い方について。言霊という言葉があるように、言葉には口に出す事で力を持つ。思っていない事でも、何度も何度も口に出していると、それは自分の考えとして自分の中に戻ってくる。そんな力を言葉は持っている。ヒット曲のような何度も何度も繰り返し口ずさまれるような歌の歌詞は、何の気なしに歌っていても歌詞の内容は気持ちに反映されるかもしれない。

それって、つまり呪術ではないのだろうか?作詞をするという事は、そんな力を操る事。だから綺麗事だけではなく、自分の心の中の汚い部分とも向き合って、自分自分に問い掛けをしそして言葉を操っていかなければいけない。と、そんな事が書かれていました。この言葉の持つ力については平素から思うことがあったので、作詞と言う行為を通じた言葉の扱い方という解釈で興味深かったでうす。

それと、作詞とは直接関係ないんですが、この本で一番印象に残ったのが、主人公が普段から書きとめているポエムノート(通称:ココロノート)をクラスメイトに見つかってしまい恥ずかしさのあまりノートを捨てようとするシーン。そのシーンで先生役の子が激怒するんです。曰く、「創作が恥ずかしいのは『自分らしい』から」だと。自分らしくないものは見られても恥ずかしくないんだ、と。だから、それは自分自身だから絶対に手放してはダメだと。

この考え、とても分かるんです。自分もサイトでポエムを書いていますが(最近はあまり書いていませんが)、正直とても恥ずかしいんですね。目の前で読まれたりすると顔から火が出そうなぐらい。だけど、それらのポエムは自分が自分の心と向き合って紡ぎ出したとてもとても大切なものなんです。だから、無かった事にはしたくない。昔のものでも、当時の自分の気持ちが詰まっているから、切り離したくは無い。そんな気持ちがあります。

人によっては、昔のものは恥ずかしいだけだし、昔のものに拘っていると成長が無いから、どんどん更新していくという考えの人もいます。イラストの分野で多い考えかもしれません。だけど、詩という言葉については、技巧だけでは無いような気がするんです。言葉遊びも当然ありますが。

ポエムページのトップに書いている言葉が、自分の詩に対する想いだったりします。あのポエムの大半は大学時代のものなので、何と言うか夢見がちだったんだと思いますが、そんな多感な時期だからこそ拾い紡げた言葉もあると思っています。

話が逸れましたが、繋がっているし異なる作詞と作曲の世界。作曲少女と作詞少女は2冊でひとつの音楽と言うものを語った物語だと思いました。登場人物がリンクしているところもあって、面白かったです。ただ、どちらの本に対しても言えますが、先生役の子に対して、こんな悟った高校生は嫌だ、とは思いました(笑)




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