Marumaru's TinyPlaza

(2016.02.01)(book)レインツリーの国

『レインツリーの国』/有川 浩


実際に会って話せるなら、それに越した事はない。声や表情や仕草、感覚の全てを使って情報をやりとり出来るから。

だけど、それが出来ないから言葉を使ってやりとりする。視覚、聴覚、触覚に比べれば伝わる情報はとても少ない、細い細い糸だけれど、それしか方法が無いなら、気持ちを言葉と行間に込めて、言葉を紡ぐ。

相手に届くように、伝わるように。言葉を文字に起こした文章という表現の可能性を信じて、力を信じて紡ぎあげていく。


主人公の男が昔好きだったファンタジー小説(世代的にライトノベルより、この言葉がしっくりきます)の感想サイトを見つけ、当時物議を醸したラストについて語りたくなり、そのサイトにメールを送る事から始まるボーイ・ミーツ・ガール。世代的に「ユーガットメール」を思い出してしまいました。ネットを通じた人との出会いというテーマは、一昔前ならそれだけで話題になったものですが、最近ではSNSも発達し、さほど珍しい事でもなくなったように思えます。

しかし、手軽さが売りであるSNSのやりとりとは違い、メールは基本的に一通一通で内容が完結しています。好きな作品のラストの解釈を巡りやりとりを重ねていく中で、互いの考え方に興味を持ち、人物自体にも惹かれていく。

ネット(文通も然り)での人間関係というのは、何らかの同好の士で集まる事が多く、会話のやりとりを通じてその人の人物像が頭の中で構築され、その後会ったりします。これは通常の、会って親しくなって色々と込み入った話をするという流れの逆です。そして、外見や職業、家族構成といった、本人に付帯する情報をすっとばし、本人が持つ考えに真っ先に最初に触れることから始まる不思議な出会い。

ネットに触れた当初は、人の外見・肉体や社会的に付帯するものを越えて、人の心と直接繋がれるネットってすごい!と思っていたものですが、結局、現実社会で生きて生活している以上、自分に付帯する様々なものもひっくるめての自分であり、そのことを取っ払ってのやりとりに惹かれるのは、現実に対する自信の無さや引け目の裏返しなんですよね。ただ、それはそれとして、遠く離れた場所や人とやりとりをする時に、時間と距離をゼロにしてくれるネットワーク技術は本当に素敵です。

閑話休題。

この話のヒロインは聴覚に障害があります。だから、メールやホームページでは自分の考えをしっかりと言うけれど、実際の会話にはとてもコンプレックスがある。そして、障害があるから社会になじめず、自分が社会からフェイドアウトするのが一番だ、という少し卑屈な考えを持っています。

この話、ネットを通じた出会いや、障害の話と、色々と要素が混在していますが、結局は人と人とのコミュニケーションの話だと私は思いました。そして、人は誰しも自分にコンプレックスを持っていますが、聴覚障害というのは、語弊を恐れず書くなら、そのコンプレックスを分かりやすい形で具現化した表現だと思います。完全に偏見ですが、創作においては病気であったり、障害があったりする人物は、素直で心が綺麗、そして外見も整っているといった描かれ方をする事が少なからずあるように思います。それは、その方が対比として人物の特徴が際だつし、障害を人物の要素として扱っているんでしょう。(だから、容姿端麗で性格が良い創作上のキャラクタに要素として障害を付けている)

ですが、このヒロインは、難聴である事をとても気にしていて、その事に引け目を感じています。その結果、意識が自分に向く事が多く、自分に対しては卑屈になって、相手に対しては結構強めの事を言ってしまうんです。言ってしまえば、少々「面倒くさい」部分を持った女の子なんですが、そこが人間味に溢れていて魅力的に感じられます。主人公は主人公で、確固とした自分の考えを持っており、そんな二人が意見をぶつけ合いながら仲を深めていく展開に、羨ましさを感じました。

そんなヒロインと主人公が、本音で意見をぶつけ、互いに傷つき悩みながらも、互いの気持ちの距離を縮めていく過程をメインテーマとして書ききっているところが、読んでいて恥ずかしくも心地良かったです。「相手の事を思い遣り、互いを尊重する」そんな、どこにでもある標語のような正しい行動って実際にするのは難しいですよね。だからこそ、そこを若い勢いと、好きという気持ちで一気に突き進んでいく登場人物達に惹かれました。あぁ、この溢れんばかりのエネルギーが青春なんだな、と。



(2016.02.12)(movie)ガールズ&パンツァー劇場版

『ガールズ&パンツァー劇場版』


ガルパンはいいぞ(言ってみたかった)


今年になってからガルパン(TV版)を観たにわかガルパンおじさんですが、ようやっと劇場版を観に行く事が出来ました。確かに初見の楽しさが大きい作品だったので、先人がネタバレにならないように気を使いながらも面白さを伝える為に、前述の言葉を選んだ意味が分かりました。(ネタ要素や他の理由もあるようですが)

しかし熱くて面白い映画でした。初見で娯楽映画として楽しく、でも細かいところに色々とネタを仕込んでいる感じが伝わってきて、TV版を含めて勉強しなおしてから再度観たいと思いました。

戦車絡みの演出を見ていて、SHIROBAKOで語られていたが「上手に嘘をつく」ってこういう事なんだと実感しました。何よりもキャラクターと各戦車の魅せ方が本当に上手い。それぞれが一番輝ける場面を用意してあるなぁ、と。

後、上坂すみれのロシア語がガチ過ぎてちょっと引くレベル。彼女が台頭してからロシア人キャラがよく登場するようになりましたね。相方のロシア人キャラも偉く流暢なロシア語だと思っていたら、少し前に話題になっていた、声優になる夢を叶える為に来日したロシア人の方だったんですね。本場の人との会話シーンで違和感が無い上坂さんって一体……。



(2016.02.14)(book)あの日

『あの日』/小保方晴子


手記だから仕方ないのかもしれませんが、一人称視点で語られる私語り……と言うか、「私を見て」感がすごい。この人は自分の事が本当に好きなんだろうな。学生時代から研究者への流れを読んでも格好良いものに憧れるというか、流されてる感を覚えました。私にもそういうところはあるから、共感する部分はありました。

あと、とにかく表現が芝居がかってる。自分の半生なのでどれだけ修辞法を尽くして語っても良い訳だけど、あまりやりすぎると、物語の主人公のはずの小保方さん自身が、自分の人生を絵空事のようにある種、他人事のように見ているように感じてしまう。

で、何より、一番知りたかったのは「STAP細胞は本当にあるのか?」「再現できるのか?」という部分なんだけど、結局その部分についてははぐらかされてるんです。試料をすり換えられた、研究所の人にはめられた、心がボロボロだ、「私は悲劇のヒロインだ」うん、それは分かった。じゃあ、結局肝心のSTAP細胞はどうなったの?って話です。

実験対象の細胞は生き物だから、毎回微妙な加減が必要。再現実験では、監視が厳しく、実験後の試料に手が触れられなかったから調整が出来なかった。うーん……その辺りを再現可能なようにデータとして記録するのが研究者のする事じゃないのかな。それとも、STAP細胞の研究は量子力学の世界に足を踏み込んでいるんですか。

何かにつけて、実験している時が一番心が開放される、自分が自分で居られる、みたいな事が書かれているんですが、実験自体じゃなくて、「実験をしている私」が好きなんじゃないだろうか。

レトリックの宝庫なので、手記としてではなく、エッセイとして読むと面白いかもしれない。




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