Marumaru's TinyPlaza

(2025.11.23)(movie)実写版 秒速5センチメートル

劇場用実写映画『秒速5センチメートル』


※映画と漫画版の内容についてのネタバレがあります。

とても爽やかでよく出来た青春映画だと思います。

私は涙腺が弱くて、アニメや漫画そして映画等を問わずにすぐ目頭が熱くなってしまいます。本当にベタベタな展開でもボロボロと泣いてしまいます。そんな自分が、まったく泣かなかった映画でした。

私は新海監督の作品のファンで、原作の『秒速5センチメートル』も大好きです。若かりし日の自分の心にとても大きな印象を植え付けたこの作品。とても大切なこの作品。自分の中でやっと消化して、大切な思い出として記憶の宝箱の中にしまっておいた作品。

ですが、この度実写映画化という形で再びこの作品を取り巻く世界が動き出した時、私の周りの人とこの作品の話題になった時、観ない理由はいくらでも作れますが、観ていないという理由でこの作品の現在の話を出来ない事が嫌で観てきました。結果的に、比較対象が出来た事で大切な作品についてより深く考えられる事になりました。


この作品の魅力は、貴樹が明里の事を想い抜け出せないでいるある種の『閉じた世界』だと思います。明里は昔の想い出に区切りをつけ、新しい人と次の人生を歩んでいくのに、貴樹は初恋の明里の事が忘れられず想い続け、閉じた世界の中でその気持ちを煮詰めていく。そのある種歪んだともとれる純真さを決して責める事は出来ず、視聴者はただ哀しみを重ねて貴樹に同情する、そんな物語です。

だから、比較的男性に支持されやすい作品だと思います。手垢の付いた言葉ですが、『男性の恋は「名前を付けて保存」、女性の恋は「上書き保存」』と言われますよね。男性は以前関係があった女性にはいつまでも思われていると信じていたいロマンチストな生き物なのです。

そんな閉じた世界を描いた作品ですが、漫画版は最後に花苗と再会する仄めかしがあります。これは花苗によって貴樹が閉じた世界から抜け出せたと言う事で、この事でこの貴樹の閉じた世界は消滅して、物語は終わりを告げます。原作を踏襲した上で本当に良い救いを描いています。閉じた世界は外部からでしか壊せない、そして明里の心はもう貴樹を向いていないので、新しい相手が登場しない限り詰んでいるんですよね。

ですが、劇場版は天文台の館長さんを通じて、閉じた世界が微妙に開きかけています。ですが、その中途半端な介入によって静謐を保たれていた世界の魅力が一気に崩れたように思います。

そして、2時間の尺に収める為でしょうが、時系列を混ぜているのもよろしくない。確かに時系列を混ぜる事で映画的な盛り上がりは出来たのかもしれませんが、時を重ねる毎に折り重なっていく貴樹の想いの積層をもかき回された気分でした。

そもそも、原作が貴樹視点だったのに対し、映画は明里の視点が多いんです。明里が過去の想い出を糧にして次のステップに羽ばたいていく。貴樹に対して「貴樹くんなら大丈夫」的な呪詛の言葉をかけるかのように。「大丈夫」は『ほしのこえ』でミカコが使っていた特徴的な単語ですが、この作品では対比的に使われている気がします。

何にせよ、大筋は一緒なのですが、原作で描かれていた貴樹の哀しくも美しい閉じた世界を、明里視点でかき回されていたような気がします。そして、その演出は映画の物語的には正解だと思いますが、新海監督が描かれていた世界とは少し乖離をしていたように感じました。

映画を観ていて、後半のシーンで桜の樹の下に明里が居なくて良かった。と心から思いました。

EDの米津玄師の主題歌は素晴らしかったのですが、物語の解像度を深める事に定評のある米津玄師の手腕を持ってしても、『One more time one more chance』には及ばなかったなぁ、と。この映画に関しては主題歌の歌詞で語るよりも、観た人が自分の心に問いかける言葉が一番刺さると思うので、観る人の想像力を想起させてくれるOne more~は流石だったと思います。なので、劇中でOne more~と実際のシーンを重ねてたのはちょっと違うと思った。

色々と書きましたが、この実写映画は若い女性が自分の心情に重ねて観る映画だと思うし、実際の観客層もそんな感じだったので、おっさんが懐古まみれで語る事自体が違うのだと思います。それでも、一言書かずにはいられなかったので。




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