Marumaru's TinyPlaza
(2015.07.02)(movie)劇場版ラブライブ
『ラブライブ!The School Idol Movie』
ラブライブの劇場版、封切り日のレイトショウから始まり、気づけば3週間で3回観ていました。やっと自分の気持ちが整理出来てきたので、感想を簡単に書きとめておきます。
明確な「終わり」を提示された事による喪失感
TV版2期から作中では「μ'sは卒業したら終わり」と明言していたし、メンバー全員で浜辺で誓いあっていました。だけど、それは物語の流れや盛り上がりとして自然な事です。TV版最終回の卒業式後も、花陽の「大変ですー」で終わり、次への繋がりを見せてくれていました。
しかし、劇場版ではこれでもかと言うほどに「終わり」を示されています。それも、ただの終わりではなくて、後続の「スクールアイドル」の為に道を繋げるような終わり方。幕引きと言ってもいいかもしれません。
最後のシーンの羽。今までは誰かが拾う事で物語が繋がっていたのが、劇場版では誰にも拾われる事なく、穂乃果のシャツの上に舞い落ちます。
同じシーンで、着ていた人は居らず服だけが並べられているのを見て、本当に切なかったんです。もう、この服が着られる事は無いの?と。そして、服だけで中のメンバーがすぐに分かるようになっていた自分にも驚きました。
(スクールアイドルになったであろう)雪穂と亜里沙が、アイドル研究部で後輩に自分達の礎となったμ'sの説明をするシーン。あれ、タイの色と台詞から2人が3年生になったシーンでしょうか?過去形で語られるμ'sの偉業、そして空白の時間が「終わってしまった事実」を実感させられます。さらに回想扱いで始まる「僕たちはひとつの光」
今までは一貫して、「君と僕」「みんなで叶える物語」「辿り着いた奇蹟」的な事を謳っていたのに(「KiRa-KiRA Sensation! 」の歌詞がその一つの到達点だと思います)、「僕たちはひとつの光」ではμ'sのメンバーだけで完結して新しい世界に行ってしまったような疎外感を覚えました。「あれ?『僕たち』は?」みたいな。
結局、「けいおん!」とかと何が違ったの?
同じようなはまり方をして、作品の展開(TV版で卒業式まで、劇場版で卒業式後旅行)をした、けいおん!の時はこんな気持ちを覚えなかった。何が違うのでしょうか?
解散や終わりを宣言している事もありますが、一番違うのは、μ'sとして終わるのではなくて、一つ上の階層である「スクールアイドル」を引き合いに出してる部分だと思います。自分達はスクールアイドルであり「限られた時間の中で輝く」スクールアイドルが好き。つまり、卒業したらスクールアイドルはもう出来ないんです。そして、劇中で卒業式から2年後(?)までの時間軸を描ききってしまっているから、μ'sのメンバーは映画終了時点ではスクールアイドル「足り得ない」こんな完全な終了なまでの終了の提示があるでしょうか、いやない(反語)。
更に、自分達が後続のスクールアイドルの礎となる事、μ'sを終わる事に、全く後悔が無いんです。そしてその事は作中でメンバー全員の意思によって決めています。
残された者の気持ち
そんな事を考えながら、家に帰って劇場特典で貰ったμ'sからの手紙らしきものを開いてみました。
この文面が、μ'sからの別れの手紙に思えるぐらいには、喪失感を覚えていました。
きちんと便箋に入ってる(風)事によって、μ'sの終わりは一時的な感情ではなく、きちんと用意されたものなんだ、そしてその事を丁寧に伝えてくれているんだ。と思って余計に切なくて、どうしていいか分かりませんでした。
頑張って手に入れた読売新聞の全面広告も、劇場版を観終わってから改めて見ると、やっぱり違う印象。
……なんで、過去形なのさ。
私は、ラブライブを2015年の春からはまったニワカもいいとこな新参者なんです。ふとしたキッカケでラブライブの曲を知って、ベストアルバムを買い求め、アニメ2クールを追いかけて見て、ベルトアルバム2枚目が発売した直後に劇場版公開!という非常にいいとこ取りなはまり方です。
自分の中で熱が高まってきて、さあこれから!という時に劇場版で突きつけられた「終わり」本当にどうしようかと思いました。そこに在るべきものがなくなってしまった途方も無い喪失感。
新参者の私でこそそうなのだから、ラブライブを雑誌企画当初から追いかけていた方々の心中いかほどか。
例えば、私の好きな曲のうちのひとつ「スピカテリブル」ですが、この曲が収録されている「ことりLovin' you」の発売は2011年。先日たまたま寄ったドラッグストアにあったリポビタンDのタイアップ企画、年を見ると2013年でした。自分がラブライブを知らなかった期間の間にもラブライブは続いていて、色々な展開があったんだと思います。そんなラブライブと共に時を過ごしてきた人の意見も聞いてみたい今日この頃です。
今の心境
そんな風に悲しみに暮れる日々を過ごしていましたが、映画を何度か観返して、音楽を繰り返し聞いていくうちに、やっと気持ちが落ち着いてきました。
映画も感情的にならずに、作品として楽しめるようになってきましたし、ラブライブの音楽はやっぱり良い曲が揃っているんです。
だから、劇場版でμ'sは終わったしまったかもしれないけど、自分の中で好きな気持ちがあるのなら、その気持ちがあるうちは楽しめばいいじゃないか。という至極真っ当な結論に至りました。
……一言で書いてるけど、この心境に達するまでが長かった、本当に。
映画の内容に対するあれこれ
前置きが長かったですが、映画の対する様々な事を忘れないうちに箇条書きで。
- まさか新曲を6曲も入れてくるなんて(前売り券合わせると劇場関係で9曲!!)
- 流石に100分作品に6曲も入れるとミュージカルみたいな展開になります。特に1年組~3年組の曲のところ。あそこは、ああいうものだと割り切って楽しむのが良いのかも。
- 凛ちゃんの「星空にゃー!」が可愛かった。
- 3年組の歌で希が腕を上げて廊下を走っているシーンが可愛かった。(またか)
- A-RISEにも新曲をあげればよかったのに。
- 新曲が多いのは良いけど、初期の歌やTV版の曲も流して欲しかった。
- 「僕たちはひとつの光」、歌詞の中にメンバーの名前が入っているんだろうけど、絵里だけ分からなかった。(「え」までは分かったんだけど)
- 各地のスクールアイドルを探しに行く場面、カメラが空に向かった時、飛んでいる鳥の数が9羽だった。
- 部屋割り、「凛&花陽」「真姫&希」「海未&ことり」「絵里&にこ&穂乃果」こうやって並べてみると、上手いこと分けてるなーと思う。
- 「SUNNY DAY SONG」、とにかく背景の3Dモーションのが狂気じみてた。一人一人動きが違うって何さ……。おかげでμ'sに目が行かなかった。東映の本気というか、プロが仕事として時間とお金をかけると、こんなものが出来上がるんだ、と。
- 雪穂と亜里沙が「私達スクールアイドルじゃないけどいいの?」に対する「もちろん!」のシーンで毎回泣いてる。
- アメリカのシーンはもうちょっと尺を割いて欲しかった。ステージの場所を決めるくだりがあまり活かされてないような。
- 飛行機に乗るシーンの、ことりの枕って多分「Wonderful Rush」のネタだよね。新参者だけどここは分かった。
- 「ほのかちゃーん」から始まり、「ハラショー」や弓道部設定等、頑張って入れてるなぁ、と。
- 「愛弗」って何?仏教用語??
女性シンガーについて
多分、ネットだと色々と考察されてるんだろうと思います。女性シンガーと穂乃果の関係(同一人物説含む)について。
私の意見は、「どうでもいい」です。だって、どれも想像の域を出ないから。髪と瞳の色が一緒だったり、「飛べるよ」を知っていたり、他のμ'sのメンバーには見えない(ような演出をしていたり)、マイクケースを持って立った時の影が十字架を意識していたり、二回目の水溜りを飛ぶシーンの色使い、etc……。
シックスセンス的な事も含めて、視聴者に色々と考えさせるようになっているとは思いますけど、「歌うと楽しい」って気持ちで水溜りを飛び越える(2回とも)穂乃果の前向きな性格付けのエピソードを際立たせ、穂乃果の精神的な成長を描く上での補助キャラって位置づけ以上のものは、これから各種ネットの意見を眺めながら「考えのひとつ」として読んでいきたいです。
ただ、やっぱり高山みなみさんって歌上手いですよね。女性シンガーの姿がTWO-MIX時代の「BPM "BEST FILES"」というアルバムに入っていたPVを思い出しました。