Marumaru's TinyPlaza

(2019.06.06)(movie)ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』


100点満点のエンタメ怪獣映画でした。

最初は、日本の特撮をハリウッドで作っても変な事になっちゃうんじゃないの?って思っていたんですが、よくよく考えればハリウッドって映画で映像をどれだけ迫力を出して魅力的に見せるかを長い時間とお金をかけて研究してる集団ですもんね。方向性を間違えなければ面白いものになるのは間違いない事かもしれません。

あと、今回初めてIMAX+3Dの環境で観て来ました。3Dメガネは自分が斜視+乱視があるのと、割と度の強い眼鏡をしている関係で、二重メガネ状態で上手く見えるのかが心配でしたが、割と問題なく見えました。飛び出すと言うよりも、立体感があるぐらいの感じで長時間の視聴で付加の少ないレベルにしているのかもしれません。どちらかと言うと、字幕部分がかなり手前に配置してあり読みやすかったのが良かったです。

音響も重低音が響いているのはもちろんの事、自分の頭の上から聞こえてくるような音響の場面もあって、今更ながら最近の技術ってすごいな、と思うことしきり。この映画みたいな明らかにアクションシーンを重視しているような映画は余裕と都合が合えばこういう特別な環境で見るのは良いですね。しかし、IMAX上映だと画面の上下が広くなるのはなんだか不思議。全部そのサイズで上映してくれたら良いのに。


以下、ネタバレ






































とりあえず浮かんだことを箇条書き気味に。

実を言うと、特撮に全然明るくなくて、ゴジラもちゃんと観たのはシン・ゴジラが初めてだったりします。怪獣の名前や簡単な設定ぐらいは知っていたんですが。

なので細かい部分は分からないんですが、逆に細かい事を知らなくてもとても楽しめました。人間ドラマを入れていた関係で、暴れる怪獣の周りを逃げまどう人々、そして怪獣の行動の余波でふっとばされる、みたいなシーンを大迫力で描かれていて興奮しました。

そして、ストーリーの絡みで怪獣の周りを飛んでいるシーンが多かったですが、その飛行機に乗っている人の目線でカメラが動いていたのが臨場感ありました。

女の子が一人で立ち向かうシーンって本当に映えますね。

何よりも、ゴジラを始めとする怪獣の立ち振る舞いや声が神々しかった。ゴジラの青白い光、そして核ミサイルで「気合」を入れた後の赤い炎。そしてキングギドラの黄色い雷。この辺り、見た目に分かりやすくワクワクしました。ゴジラの臨海を迎えた爆発、モンハンのテオを連想してしまいました。

あと、モスラがとにかく神々しかった。そしてまさかのゴジラとの共闘。何故だかモスラがゴジラと共闘してる辺りからの後半の一連の戦いの間中、涙が出てたんですよ。怪獣たちの格好良さと神々しさ、そしてモスラの慈しみみたいなものを感じて。

外国の人が好きそうな日本観という感じはしましたが、ゴジラを神に見立て、東洋の価値観で語るという、ゴジラをとても尊敬していて愛がある作りに感じました。

それと音楽なんですが、ゴジラのテーマとモスラのテーマが流れたのは分かりました。他にも詳しい人には色々と分かったのかもしれませんが。こういう部分はファンならずとも嬉しいです。

細かい部分なんですが、エンドロールのゴジラとかの欄が「HIMSELF」となっていて、多分これってあちらの定番なのかもしれませんけど、なんか嬉しかった。

後、一点だけちょっと微妙だった部分を。ストーリーの展開上仕方なかったとは言え、オルカを便利に使いすぎな気がしました。気になった部分は本当にそれだけ。本当に最高の映画でした。

追記。他の人の感想を見てると、今までのゴジラの歴史を感じる一方、結構賛否両論なのね、これ。でも、「怪獣オールスターズで超格好良いバトルをしたいんだ!」って想いは伝わってきた。エンタメ怪獣映画にとって、それってとても大切な事だと思う。

追記2。書き忘れてたんだけど、海底遺跡にカタカナで「ゴジラ」って書いてあったのは笑うところだよね?



(2019.06.25)(book)「恋のツキ」完結によせて

『恋のツキ』/新田章


小さな幸せを探すのが得意な事と幸せの閾値が低い事は同義なのだろうか。

世間一般に言われる「幸せ」な生活、家庭を築いている人を否定するつもりは全く無い。世間で言われる普通の幸せなるモノは、あらゆる面で減点要素が無い(若しくは全てが及第点以上)であって、その実現にはとてつもない努力が必要な事は明確なのだから。

時間と共に可能性が狭まってゆき、選択肢が減っていく。その中で、自分の求める幸せの形は他の人とは違うと気付く。世間の幸せが選べない。選ぶことはもう出来ないのだと思うのではなく、自分には不要な選択肢だったのだと切り捨てる。

それは諦めにも似た強がりなのかもしれない。

しかし、結局は自分が納得しているのか、自分は幸せなのか。それが全てなのだ。世間から見た自分と言う名の枷は、負い目があればあるほど重く自分にのしかかる。自分が決めて自分に責任を持って自分が幸せなのであれば、誰に負い目を感じる事も無い。世間の目に一喜一憂する余裕や意味など無駄だと、覚悟を決めて胸を張れば良い。

人生は賭けだ。そんな中で、自分の選んだ選択を負けても悔いの残らない賭けだ、と言い切れる主人公ワコはまさに達観の境地に至っていると思う。

最初の問い掛けの答えが大切なのではなく、幸せだと思う人生を歩む事が大切なのでもなく、自分が選んだ道の先にある禍福を全部ひっくるめて楽しんで、結果幸せの方が多かったと思える心が何より大切なのかもしれない。



(2019.06.25)(book)悲観する力

『悲観する力』/森博嗣


図書館にリクエストしていたのですが、予約が入っていたのか借りられるまでに妙に時間が空いてしまいました。ちなみに県立からの取り寄せです。岡山の県立図書館は入館者数とかで度々ニュースになるだけあって、色んな本を検索した時に他の図書館には無くても県立だけには蔵書がある、というパターンによく遭遇します。そんな知の泉を一度訪れてみたいものです。多分、この本を勧めて頂いた方と行くのがテンション的に一番盛り上がりそうな気がします(私信)。

と言う訳で、「すべてがFになる」で御馴染みの森博嗣さんの著書です。

インパクトのあるタイトルですが、仰っている事は至極真っ当な事で、うんうんと頷きながら読んでいました。

自分の好きな言葉に「物事は段取りが9割」という言葉があります。次にやる事をイメージして、その中で必要なものを用意して、起こりえる事態を想定して先手を打って対処をしておく。そうすれば本番は予定調和としてあっけなく終わる。

そういう、先の事についての考えを巡らす事、起こり得るかもしれない事について想像する事、その中で生まれた将来のデメリットの種を早めに潰して行きましょうね、と。そして何事をするにしても、時間が一番汎用的なリソースである。時間に余裕を持った行動をして、結果として時間が余ったならその時間は次の事を考えれば良い。

いやもう本当にその通り。感情論の全く介在しない歴然たるロジックの通った正論です。

その中で個人的に興味を持った部分は、所謂ポジティブシンキングについてでした。気持ちを高めて前向きにしていれば良い結果が出る。という根性論には理屈が通ってないよ、と。

ここからは自分の思いですが、自分の人生だから誰が責任を取ってくれる訳でもない。結果が出ればそれが正解なのだけれども、ポジティブシンキングと言う名の楽観論に溺れて思考停止になるよりは、目の前の障害を思い描いて一個ずつ取り除いた方が理屈として成功の可能性は上がりますよね。そんな事を諭されているように感じました。

そして、デメリットを想定して対処するのはあくまで未来においての話。過去はどうやっても改変出来ないんだから、過去について「悲観」するのは意味が無い事かもしれない。過去は楽しい思い出だけを取っておいて、目の前に横たわる未来について思う存分に「悲観」しよう、と。何があっても死ぬ事より最悪な事はない。そしてみんな最後には死ぬのだから。

内容と言うか根底にある思想が、先日読んだ恋のツキと妙に被る所があるように私には思えました。

私の好きな言葉その2に「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる」というのもがあるんですが、まさにそうだよなぁ、と。考え抜いて、段取りをすませば、後は人事を尽くして何とやらと言うか、何があっても少なくても自分は後悔をせずに自分の事を信じられる自身を持てるのかもしれない。そんな事を考えていました。

ただ、起こり得る不安を想定して対処すると言う「悲観」はあくまで自分の内面に対して行う行為であり、それを無闇矢鱈に「感情論的に」周りに触れ回るのは、ただの扇動者なので悲観をするのは自分だけで良い。他人の考えを簡単に変えようなんて事はおこがましい事なんだ。




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