Marumaru's TinyPlaza
(2023.02.09)焚き火について
最近休みの日に仕事や用事が立て続けに入って全然焚き火(デイキャン)が出来てないー。と一人嘆いていたところにネットニュースで、とある芸能人が「(焚き火は)わざわざ寒い所に行って暖まる…バカみたいな行動」とバッサリ、みたいな記事を見つけました。
自戒を込め、自分が理解出来ないからと言って他人様の趣味にケチをつけるのは如何なものか、と前置きをした上でちょっと焚き火について語ります。
確かに焚き火は準備も後片付けも大変だし、匂いも付きます。なんでわざわざそんな事をと言われる気持ちも分かります。ですが、そもそも、焚き火=暖まると言うのは確かに焚き火の効能ですが、それは焚き火の沢山の効能の内の一つにしか過ぎないんです。
結論から書くと、焚き火をする目的は焚火をしたいからであって、焚き火をしている時間、空間を楽しみたいからなんです。
山の中や河原、キャンプサイト等で焚き火をする場所を決めて、設営をして、焚き付けの準備をします。小枝を拾ったり、薪をバドニングして細くしたり、人によってはフェザースティックや割り箸、新聞紙など、燃えやすいものを用意します。
それから火をつけて……私は火をつける行為自体はさくっと済ませたいので固形燃料を使いますが、火打石やファイアスタータで火を生み出す楽しさは筆舌に尽くしがたいものだと思います。
そして火がついたら、その火が大きくなるよう消えないように育てていくのが楽しいんです。薪をくべたり、入れ替えたり、組み直したり、火吹き棒で空気を吹き込んだ後に「ぼっ」を炎が立ち上がる時の心強さと言ったら。
暫くして熾火の状態になったら、何とも言えない安心感があります。更に薪を加えても良いし、安定した火で調理やお湯を沸かしても良いし。火の世話から解放され、一人でゆっくりと燃える火を眺めながら嬉しいような、手をかけなくてもよくなった事が少し物足りないような、そんな時間。
更に時間が経つと炭は灰と姿を変えます。炭の部分を集めて火を保とうとしますが、徐々に小さくなっていく火と冷めていく周囲の空気に何とも言えない物悲しさを覚えます。そして、最後は灰を灰袋に入れて焚き火は終わりの時を迎えます。
火が生まれて炎として雄々しく燃え、最後には灰燼に帰す。そんな火の栄枯盛衰を焚き火台という小さな箱庭の中で眺めている時間が本当に幸せなんです。
なんか大げさに書いてしまいましたが、炎を眺めているだけですごく楽しいんですよ。そして、焚き火の音や匂いを生み出すという行為が楽しい。それを自然の中で、川のせせらぎや風のささやき、鳥の鳴き声を聞きながら、土や草の匂いを感じながら無心で行う事自体がとても心を落ち着かせてくれます。
そこに、更に焚き火で料理をするという目的が加われば、喜びもひとしおです。別に作るものは何でもいいんです、ここぞと拘り料理にじっくり取り組んでも良いし、インスタントラーメンでさくっと済ませても、白米を炊いてオコゲを楽しんだりしても。何を作っても楽しいし、美味しい。
だから、興味ない人が焚き火をしている映像を見ると、画面情報としては「寒い中でわざわざ火を焚いて暖まっている」光景に見えるかもしれませんが、画面に映らない部分の視聴覚情報こそが焚き火の魅力なのかもしれません。少なくても私はそう。