Marumaru's TinyPlaza

(2012.11.08)(book)ボクは吃音ドクターです。

『ボクは吃音ドクターです。』/菊池 良和


吃音……所謂、「どもり」についての日本で唯一の専門医が書かれた本。この人自体も吃音を持っています。内容は「自叙伝」と「専門知識を医療現場でどう活かしているか」の2部構成になっています。前半部分しか読んでいないので後半部分については分かりません。

私も物心付いた時からどもり気味で、小学校の時は学校内の特別教室のようなところに通っていました。その時に色々とトレーニングやカウンセリングをしたような記憶があるんですが、なにぶん小さい時の事なので詳しくは覚えていません。

だけど、実際問題としてどもっていると、会話がスムーズに進まなかったり、周りから馬鹿にされたりと困ることも多かったので、無意識に自分なりに工夫をして出来るだけ言葉が詰まらないようにしてきました。

何となく詰まりやすい音と言うのは自分で分かるんです。話していて、「あ、次にこの言葉を言うと詰まっちゃうな」って感じで。私の場合は「”い”が文頭に来た場合」「”た行”が文頭に来た場合」が多い気がします。

だから、言葉が詰まりそうだと頭で感じた時は「単語を同じ意味の別の言葉に言い換える」「倒置法を使って詰まる単語が文頭に来ないようにする」「頭にクッション言葉を付ける(”あの”とか”えっと”みたいな)」「文頭の言葉を発する時に体を動かす」等々。これらの事を不自然にならないように行って、出来るだけ自然に話せるようにする癖が付いていました。

言葉が詰まってしまうのは幼い時からずっと続いていて、今では頻度こそ減ったものの時折詰まります。でもそれは、どもりが直ったんじゃなくて、言葉が詰まらないようにする小技のようなものを自分が時間をかけて見につけたからだと思っています。

言葉が詰まると言う事を他の人に言っても、「緊張しているからだ」「落ち着いてゆっくり話せば良い」と言われるばかりで何も解決しません。人によっては「出来る出来ないじゃなくて、詰まらないようにするんだ!」「お前の努力が足りないだけだ」と言われた事もありました。頑張って直るのなら25年前に直してるんですけどね。だから、他の人に相談してもどうしようもないし、自分の持病みたいなものだと割り切って、出来るだけ言葉が詰まらないような小技を駆使しながら話していこう。生死に関わる問題では無い訳だし。


そんな風に考えて今まで三十年余りを過ごしてきましたが、先日偶然この本の存在を知り読みました。

本当に驚きました。自分が今まで悩んできた事と同じ事で悩んでいる人が他にも居る事。そして、自分が今まで長い時間をかけて無意識に行ってきた話し方と同じ事を行って、少しでも詰まらない話し方をしようとしている人が居る事。

話し方以外にも、「電話をかけて第一声が出なくてイタズラ電話と思われて切られた」とか、「欠席の連絡をするのに電話をして言葉が詰まるのが嫌だから、欠席の旨を伝える為だけに現場に行った」とか、体験談の一文一文ごとに「分かる、分かるよ」と自分の事のように納得しながら読んでいました。電話をかけたり、人前で話したりする事が決まった瞬間、頭の中がそのことで一杯になってしまって、発言内容云々以前にちゃんと言葉が発せられるかどうかだけをずっと心配してしまうんです。

学生時代、先生に指名されて答えを言う時、「答えは分かっているのに言葉が出ない」状態になって、周りの人がひそひそと答えを教えてくれている時に「違う、答えが分からない訳じゃない」と思いながらも結局言葉が出ずに「わかりません」と言って座った経験談を読んだ時なんて本当に救われたような気持ちになりました。自分の他に同じ事で悩んでいた人が居たんだ、と。

学校で本読みをする時に、「○○日だから出席番号○○番の人」とか「前から○○番目」とか、そんな「自分が指名されてみんなの前で言葉を出さないといけない場合のシミュレーション」をずっと繰り返していたり、なんとかそれを回避するように頑張ってみたりとか、そんな苦労、誰に話しても分かってくれないし、自分が惨めになるだけだから話したことなんてありませんでした。

だけど、この菊池先生は自分と同じ事で真剣に悩んでいる。別に、「大変だよね」って同情されたい訳じゃないんです。そんな事されても言葉が詰まるのが直る訳じゃない。自分が今まで他の人に話せなかった、話しても本当の意味では分かって貰えなかった事を、自叙伝を通じて共有出来たような気持ちになれたのが本当に嬉しかったんです。

菊池先生も吃音のカウンセリングについては、誰か同じ事で困っている人と話すことが大事だと仰られていました。本当にその通りだと思います。そして一緒に話を共有出来る人数が増えれば増える程、気持ちは楽になると思います。

惜しむべきは、この本に25年前に出会っていたら、菊池先生に25年前に出会っていたら……そんな事を考えましたが、25年前はこの本も菊池「先生」も存在していません。だけど、この本を通じて菊池先生と言う人と自分が今まで長年積み重ねてきたしこりのような感覚を分かり合えた事が本当に嬉しかった。

最後に、言葉が詰まる症状を「吃音」と言うそうですが、名前なんでどうでもいいんです。直そうとして直るものだったら誰も苦労しないんです。「言葉が詰まってしまうかもしれない」その心配がいつも頭の中の割と大きな部分を占めているんです。でもその心配は、同じ悩みを持つ人と共有する事でぐんと楽になるんです。だから、もし同じ事で悩んでいる人が居たらこの本を読んで欲しいんです。




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